館長の写真日記 令和6年6月26日付け:最上義光歴史館

館長の写真日記 令和6年6月26日付け



 「紙本著色遊行上人絵」という最上義光が光明寺に寄進した絵巻物があります。狩野永徳の弟・宗秀の手によるもので、最上義光が依頼したものです。光明寺に文禄3年(1594)7月7日に寄付したのですが、理由があって再度、義光の孫である家信により寛永8年(1631)7月15日に寄付されました。当館では、最上義光没後400年記念の年(2013)に全巻公開し、全10巻を掲載した図録も作成しました。
 本絵巻は、藤沢清浄光寺(通称:時宗総本山「遊行寺」)の絵巻を模写したものですが、元となった絵巻は焼失しています。本絵巻は現在、国の重要文化財として奈良国立博物館に寄託されており、修復にむけて検討がなされています。全10巻の総延長は約170mにもなり、まともに修復すれば数千万円以上を要するらしいのですが、予算にあわせて修復箇所や修復方法などを模索していくようです。
 ちなみに「遊行」(ゆぎょう)とは、僧が諸国をめぐり歩くことです。これを「ゆうこう」と読んでしまうと、遊び歩くこと、あてもなく歩くことになってしまいます。「上人」も「しょうにん」とも「じょうにん」とも読みますが、微妙に意味が違い、ここでは「しょうにん」と読みます。この巻物における上人とは、一遍上人とその後継者の他阿弥陀仏のことで、その伝記の巻物です。
 ここで、一遍上人の人となりを少々。
 一遍は、延応元年年(1239)に伊予国で生まれ、13歳のときに出家し大宰府で修業を開始。25歳で実家へ戻りますが、家庭内の問題に巻き込まれて殺されそうになり、文永7年(1270)に再び仏門に。文永10年(1273)に遊行の旅に出て、「南無阿弥陀佛」を唱え、日本中ほとんどを巡り歩きます。
 「紙本著色遊行上人絵」の中からいくつかの場面を紹介しますと、巻第一には、弘安元年(1278)冬、吉備津宮の神主の息子の妻が、夫の不在中に一遍に帰依し剃髪(!)、帰宅した神主の息子はその姿に驚き怒るも、一遍に接し感銘を受け、自身も帰依して出家する(!!)場面が、巻第二には、弘安元年12月、信濃国佐久郡伴野にて踊念仏を初めて行い、この時初めて紫雲が出現する場面が描かれていたりします。
 全国を遊行するうち一遍と同行する人は増え、常に20名ほどの信者と行動するようになります。彼らを「時衆」と呼びましたが、時宗(時衆)とは、念仏を中国から伝えた善導大師が、時間ごとに交代して念仏する弟子たちを「時衆」と呼んだことによるそうです。ただ、一遍には新たな宗派を立宗しようという意図はなく、「宗」の字を用いるようになったのは江戸時代からのことです。
 一遍が記した書物は一切残っていませんが、その事績は最後まで行動をともにした弟・聖戒が描かせた「一遍聖絵」全12巻や、一遍の弟子・宗俊が編纂した「一遍上人絵詞伝」全10巻、つまりこの「遊行上人絵」のことですが、これらによって今日まで伝えられています。
 続いて山形市にある光明寺のご紹介を。
 光明寺は時宗の寺で、初代山形城主の斯波兼頼(1316-1379)が、城内に草庵を設けたのが始まりとのこと。兼頼が死去するとこの草庵に葬られ、2代直家が寺院を整備し、兼頼の戒名「光明寺殿成覚就公大居士」に因み「光明寺」と名付けました。初代山形藩主の最上義光(1546-1614)が山形城を大改修した際、光明寺は山形城の二の丸大手門前に広大な境内を得て移されました。この敷地には現在、当館があります。元和8年(1622)に3代藩主最上義俊が御家騒動により国替になると、同年、新たに入封した鳥居忠政が山形城の正面に最上家の菩提寺がある事を嫌い現在地に移されました。
 「紙本著色遊行上人絵」が文禄3年(1594)に寄付されたのは、光明寺の本丸から東門前への移転新築という慶事によるものと思われます。(松尾剛次(山形大学人文学部教授)「歴史館だより21」)。その後、37年後に再度、寄付されることになったのですが、その間にはつぎのような出来事がありました。
 最初、最上義光は京都伏見の最上屋敷にいて、当代一の学僧である一華堂乗阿から、源氏物語や和歌の教えを受けて深く尊敬し、ついには山形に学問を広めるべく乗阿を山形に招請し光明寺の住職へと迎え入れました。乗阿は慶長8年(1603)に第18代の住職として山形に入りましたが、慶長10年(1605)には京都へ戻りました。それ以後光明寺は、寛永3年(1626)まで無住となりました。その間、元和3年(1617)に山形の大火により光明寺が焼失し、元和8年(1622)に3代藩主の最上家信が御家騒動により国替となっています。
 改めて寄進した寛永8年(1631)7月15日は、最上義俊(家信)が亡くなる4ケ月前(享年26歳)でした。義俊の死因ははっきりしないものの、我が身に迫る死期を覚悟しつつ、切羽詰まっての仏心への帰依を願ってのことであったのかも知れません。(小野末三執筆「山形藩主・最上源五郎義俊の生涯」)
 さて、当館随一の豪華図録「遊行上人絵−最上義光没後四百周年全巻公開」 (平成25年9月14日発行)は税込2千円です。送料別で地方発送も承ります。まだ在庫があります。念仏踊りのお供としていかかでしょうか。


当館と同じ敷地にある光明寺跡

(→裏館長日誌)