「鮭様」と最上義光 〜ウェブにおける最上義光像の受容〜 内野広一
「鮭様」と最上義光 〜ウェブにおける最上義光像の受容〜
「虎将」「出羽の驍将」「羽州の狐」…最上義光には様々な異名がつけられ、そのイメージに沿う形で人物像が語られる事がままあった。
近年、ウェブ上における最上義光の愛称として「鮭様」という表現がよく見られるようになった。本稿では、最上義光がそう呼ばれるようになった経緯を時系列を追って分かりうる範囲でご紹介したい。また、本稿では、最上義光を「鮭様」と評価する史料的妥当性は論じない事をお断りしておく。
まず昭和期において、最上義光は『山形市史』等の記述がその人物像の基礎とされ、また大河ドラマ『独眼竜政宗』の影響もあって、冷酷非情な謀略家として一般的に認知されていた。昭和末期から平成期に至り、最上義光の事績に関わる研究が進展した結果、優れた政治家として捉える論評が増加した。さらに、数多くの和歌・連歌を残している事から、文化人としての一面も取り沙汰される事が増えた。
その評価に新たな流れが加わったのが2008年頃である。ウェブ上に一つのサイトが開設された。「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」というサイトである。このサイトは、インターネット掲示板「2ちゃんねる」(現「5ちゃんねる」)の中から特定のジャンルの書き込みをまとめたいわゆる「まとめサイト」と呼ばれるものである。その名の通り、本サイトは、戦国時代の人物や出来事にまつわる書き込みを、玉石混交の中から閲覧しやすいように記事形式にして大名家毎にまとめたもので、マイナーな武将の逸話や、一般には知られていない出来事などまで採録されている事から、現代の『名将言行録』とも評すべきサイトであろう。当然最上義光やその一門、家臣らのエピソードも採録されており、2026年1月現在最上家に関わる記事は317件収録されている。その最古の記事は2008/08/21の書き込みをまとめたものであるが、2番目に紹介されている記事(2008/09/09)を見ると既に最上義光が「鮭様」と呼称されており、また採録元のスレッドでは最上義光=鮭好きというイメージを面白く新鮮なものとしてとらえ、盛り上がっている様子が見て取れる。ウェブ上における「鮭様」の初出はこのあたりであろうかと思われるが、もしこれより遡る記述があれば是非ご教示願いたい。
匿名掲示板の書き込みという性格上、くだけた表現や、ネット用語を多用するスタイルで語られた最上義光の鮭好きエピソードは、「鮭様」という一見とぼけたネーミングセンスも相まって、それまで以前に提示されていた最上義光像とのギャップがおかしみを生み、インターネットに親しむ層の人々には非常に好意的に捉えられたようである。これ以降、採録元のスレッドでは最上義光=「鮭様」がすっかり定着したようだ。
もうひとつの画期となったのが、ウィキペディア以外のオンライン辞典の拡充である。研究者ではない一般のネットユーザーが歴史にまつわる事柄を調べようとネット検索を行った場合、まずウィキペディアを一読する場合が多いと思われるが、さらに幅広い知識を得ようと検索した時に行き当たるのが「ニコニコ大百科」「ピクシブ百科事典」などのSNSサービスが提供しているオンライン辞典である。これらの記事は、いわゆる辞典的なフォーマットをユーモアやインターネットスラングで味付けしたものが多く、楽しみながら歴史を学びたいという初心者層が理解を深めるのに手に取りやすいものであった。これらにおける最上義光の記事は2009年頃から編集されはじめ、そのネタ元となったのが「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」であった。以降、これら辞書サイトを孫引きした「鮭様」にまつわる記述が個人ブログや企業ブログ、Twitter(現X)等で広く流布する事となり、近年では、すっかり(特にウェブ上において)最上義光といえば「鮭」というイメージが定着したと考えられる。
■執筆:内野広一(郷土史研究家)「歴史館だより��33」より
「虎将」「出羽の驍将」「羽州の狐」…最上義光には様々な異名がつけられ、そのイメージに沿う形で人物像が語られる事がままあった。
近年、ウェブ上における最上義光の愛称として「鮭様」という表現がよく見られるようになった。本稿では、最上義光がそう呼ばれるようになった経緯を時系列を追って分かりうる範囲でご紹介したい。また、本稿では、最上義光を「鮭様」と評価する史料的妥当性は論じない事をお断りしておく。
まず昭和期において、最上義光は『山形市史』等の記述がその人物像の基礎とされ、また大河ドラマ『独眼竜政宗』の影響もあって、冷酷非情な謀略家として一般的に認知されていた。昭和末期から平成期に至り、最上義光の事績に関わる研究が進展した結果、優れた政治家として捉える論評が増加した。さらに、数多くの和歌・連歌を残している事から、文化人としての一面も取り沙汰される事が増えた。
その評価に新たな流れが加わったのが2008年頃である。ウェブ上に一つのサイトが開設された。「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」というサイトである。このサイトは、インターネット掲示板「2ちゃんねる」(現「5ちゃんねる」)の中から特定のジャンルの書き込みをまとめたいわゆる「まとめサイト」と呼ばれるものである。その名の通り、本サイトは、戦国時代の人物や出来事にまつわる書き込みを、玉石混交の中から閲覧しやすいように記事形式にして大名家毎にまとめたもので、マイナーな武将の逸話や、一般には知られていない出来事などまで採録されている事から、現代の『名将言行録』とも評すべきサイトであろう。当然最上義光やその一門、家臣らのエピソードも採録されており、2026年1月現在最上家に関わる記事は317件収録されている。その最古の記事は2008/08/21の書き込みをまとめたものであるが、2番目に紹介されている記事(2008/09/09)を見ると既に最上義光が「鮭様」と呼称されており、また採録元のスレッドでは最上義光=鮭好きというイメージを面白く新鮮なものとしてとらえ、盛り上がっている様子が見て取れる。ウェブ上における「鮭様」の初出はこのあたりであろうかと思われるが、もしこれより遡る記述があれば是非ご教示願いたい。
匿名掲示板の書き込みという性格上、くだけた表現や、ネット用語を多用するスタイルで語られた最上義光の鮭好きエピソードは、「鮭様」という一見とぼけたネーミングセンスも相まって、それまで以前に提示されていた最上義光像とのギャップがおかしみを生み、インターネットに親しむ層の人々には非常に好意的に捉えられたようである。これ以降、採録元のスレッドでは最上義光=「鮭様」がすっかり定着したようだ。
もうひとつの画期となったのが、ウィキペディア以外のオンライン辞典の拡充である。研究者ではない一般のネットユーザーが歴史にまつわる事柄を調べようとネット検索を行った場合、まずウィキペディアを一読する場合が多いと思われるが、さらに幅広い知識を得ようと検索した時に行き当たるのが「ニコニコ大百科」「ピクシブ百科事典」などのSNSサービスが提供しているオンライン辞典である。これらの記事は、いわゆる辞典的なフォーマットをユーモアやインターネットスラングで味付けしたものが多く、楽しみながら歴史を学びたいという初心者層が理解を深めるのに手に取りやすいものであった。これらにおける最上義光の記事は2009年頃から編集されはじめ、そのネタ元となったのが「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」であった。以降、これら辞書サイトを孫引きした「鮭様」にまつわる記述が個人ブログや企業ブログ、Twitter(現X)等で広く流布する事となり、近年では、すっかり(特にウェブ上において)最上義光といえば「鮭」というイメージが定着したと考えられる。
■執筆:内野広一(郷土史研究家)「歴史館だより��33」より

