館長裏日誌 令和6年3月28日付け
■ 博物館への寄附の話
とにかくこうしたイベントの予算の話となると、最近はクラウドファンデングが当たり前になっていて、イベントどころか維持補修までクラウドファンデングでという恐ろしいことになっています。なんでもかんでもクラウドファンデングでというのもいかがなものかとは思いますが。
とは言うものの、これまでも当館でも様々な寄附・寄贈をいただいており、実際、新たな収蔵品やイベントは寄贈・寄附に頼らざるを得ない状況です。昔から欧米では、博物館運営は寄附文化により支えられていて、しかしながらそれだけでは館の維持費もままならず、特に空調関係は常に工事中(というか故障中)の館も少なくなかったような気がします。かつて大英博物館は入場料無料で、かわりに入口に大きな透明の募金箱が据え付けられ、ポンド以外の貨幣なども混ざったりしていました。米国の美術館では寄附を募る専任の職員をおき、某セントラルパーク脇にある美術館では館内貸切りのパーティーを催したりしてスポンサーを獲得しているそうです。寄附する側も自分の名が博物館に刻まれることを誇りとし、コレクションばかりか、自分の名を冠した展示室一棟をまるっと寄付していたりもします。日本でも建物の一室に寄附者の表札を飾ったりしていますが、ちょっとスケールが違う感じです。
スケールが違うと言えば、やはり某セントラルパーク脇にある自然史博物館では、通常その手の博物館の目玉展示は恐竜で、ここにも立派な恐竜骨格の展示はあるのですが、実はもうひとつ目玉展示品があり、それは鉱物というか宝石やその原石で、半端でない大きさのものがゴロゴロと並び、少なからぬ数の寄附品がありました。山形県立博物館にも入口付近にかなり大きい紫水晶の原石がゴロっと展示してあり、山形にお住まいだった方からの寄附なのですが、やはり長らく米国の有名大学の教授をされていた方のものでした。
■戦時中の標語の話
「足らぬ 足らぬは 工夫が足らぬ」というのは、太平洋戦争の開戦翌年の1942年に、国が大手新聞社とともに標語の募集を行い、「10の国民決意の標語」として選ばれたもののひとつだそうです。
わずか4日間で約32万の応募があったそうで。ちなみに「10の国民決意の標語」はつぎのとおりです。
【10の国民決意の標語】
・欲しがりません勝つまでは
・「足らぬ足らぬ」は工夫が足らぬ
・さあ二年目も勝ち抜くぞ
・たつた今!笑つて散つた友もある
・ここも戦場だ
・頑張れ!敵も必死だ
・すべてを戦争へ
・その手ゆるめば戦力にぶる
・今日も決戦 明日も決戦
・理窟言ふ間に一仕事
なんか最後の「理窟言ふ間に一仕事」は、戦時中でなくても通じる感じで、「そのエビデンスは」とか、「そのタイパは」とか言っている間に仕事が終わることもあるような気がしますが。
この後は、「欲しがりません 勝つまでは」、「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」、「石油の一滴、血の一滴」と、だんだん誰のための戦争かわからず、悲壮な感じになっていくのですが、「進め一億火の玉だ」ともなると、もうヤケクソ(そのままですみません)になっているような気もします。
好きなのは「贅沢は敵だ」に「素」をいれて「贅沢は素敵だ」と落書きしたという話ですが、「足らぬ、足らぬは、工夫が足らぬ」から「工」をとって「夫が足らぬ」としたものもあるそうで、戦争で夫がとられ、男子がとられ、こちらはなんか切実な感じです。
■メモリアルイヤーの話
このメモリアルイヤーというのは、特に文化イベントでは重宝するのですが、例えば芸能活動何十周年とか、生誕何十周年とか、クラッシック音楽だとほぼ毎年のように、生誕何十周年とか没後何十周年とかでコンサートプログラムが組まれたり、CDセットが発売されたりします。古い物でもそれを集めていけば形となり企画となるわけです。
何年か前に、ストラヴィンスキー「春の祭典」初演100年記念ボックスというのが発売されましたが、「春の祭典」だけ38種類が20枚組のCDになっていて、なかなかの満腹感です。これとは違う10枚組の「春の祭典」初演100年記念ボックスもあり、こちらには1926年録音の盤も入っていて、これはこれでコレクターにはありがたいもので、これも思わず買ってしまいました。同時期にストラヴィンスキー本人が指揮する「春の祭典」のアナログ盤というのも再販されていて、こちらも入手しました。あの、つまりこれは、いわゆる自分への投資というもので、ただ投資効率が未知数なだけです。家人は「買物病だ、治らぬ病気だ。」と言いますが、けっして病気なんかではありません。金欠病ではありますが。
■キャスティングの話
最上義光ドラマのキャスティングですが、義姫役を決めてから兄(義光)と息子(政宗)を決めていくことになるかとはいえ、やはりなかなか難しい。
まずここで、あたりをつけやすい上杉家の配役でも。これは「天地人」そのままでいいのでは、謙信=阿部、景勝=北村、兼続=妻夫木、あとは信長役だった吉川晃司さんは前田慶次役でどうでしょう。んっ、ということは、最上義光役も長身のロックミュージシャンで、布袋寅泰さんとか。ならば、信長、秀吉、家康もこの路線で、甲本ヒロトさん(THE BLUE HEARTS)、ダイヤモドユカイ(RED WARRIORS)さん、吉井和哉さん(THE YELLOW MONKEY)、なんと青、赤、黄の「天下取りの三原色」ということで。そして義光の家臣には、山形出身の峯田和伸さん(銀杏BOYZ)とウド鈴木さん(キャイ〜ン)を。いやその、ウドさんはその存在がロックということで。そして連歌師の里村紹巴役は、やはり奥田民生さんでしょうか。おぉ〜、ロックオペラならぬロック大河ドラマ。このメンバーで霞城公園を貸し切ってフェスをやれば10万人はいくぞ。こっちも「ヨシアキ手ぬぐい」でも作ろうかしらん、1万本ぐらい。そうそう、「ヨシアキうちわ」もね。
とにかくこうしたイベントの予算の話となると、最近はクラウドファンデングが当たり前になっていて、イベントどころか維持補修までクラウドファンデングでという恐ろしいことになっています。なんでもかんでもクラウドファンデングでというのもいかがなものかとは思いますが。
とは言うものの、これまでも当館でも様々な寄附・寄贈をいただいており、実際、新たな収蔵品やイベントは寄贈・寄附に頼らざるを得ない状況です。昔から欧米では、博物館運営は寄附文化により支えられていて、しかしながらそれだけでは館の維持費もままならず、特に空調関係は常に工事中(というか故障中)の館も少なくなかったような気がします。かつて大英博物館は入場料無料で、かわりに入口に大きな透明の募金箱が据え付けられ、ポンド以外の貨幣なども混ざったりしていました。米国の美術館では寄附を募る専任の職員をおき、某セントラルパーク脇にある美術館では館内貸切りのパーティーを催したりしてスポンサーを獲得しているそうです。寄附する側も自分の名が博物館に刻まれることを誇りとし、コレクションばかりか、自分の名を冠した展示室一棟をまるっと寄付していたりもします。日本でも建物の一室に寄附者の表札を飾ったりしていますが、ちょっとスケールが違う感じです。
スケールが違うと言えば、やはり某セントラルパーク脇にある自然史博物館では、通常その手の博物館の目玉展示は恐竜で、ここにも立派な恐竜骨格の展示はあるのですが、実はもうひとつ目玉展示品があり、それは鉱物というか宝石やその原石で、半端でない大きさのものがゴロゴロと並び、少なからぬ数の寄附品がありました。山形県立博物館にも入口付近にかなり大きい紫水晶の原石がゴロっと展示してあり、山形にお住まいだった方からの寄附なのですが、やはり長らく米国の有名大学の教授をされていた方のものでした。
■戦時中の標語の話
「足らぬ 足らぬは 工夫が足らぬ」というのは、太平洋戦争の開戦翌年の1942年に、国が大手新聞社とともに標語の募集を行い、「10の国民決意の標語」として選ばれたもののひとつだそうです。
わずか4日間で約32万の応募があったそうで。ちなみに「10の国民決意の標語」はつぎのとおりです。
【10の国民決意の標語】
・欲しがりません勝つまでは
・「足らぬ足らぬ」は工夫が足らぬ
・さあ二年目も勝ち抜くぞ
・たつた今!笑つて散つた友もある
・ここも戦場だ
・頑張れ!敵も必死だ
・すべてを戦争へ
・その手ゆるめば戦力にぶる
・今日も決戦 明日も決戦
・理窟言ふ間に一仕事
なんか最後の「理窟言ふ間に一仕事」は、戦時中でなくても通じる感じで、「そのエビデンスは」とか、「そのタイパは」とか言っている間に仕事が終わることもあるような気がしますが。
この後は、「欲しがりません 勝つまでは」、「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」、「石油の一滴、血の一滴」と、だんだん誰のための戦争かわからず、悲壮な感じになっていくのですが、「進め一億火の玉だ」ともなると、もうヤケクソ(そのままですみません)になっているような気もします。
好きなのは「贅沢は敵だ」に「素」をいれて「贅沢は素敵だ」と落書きしたという話ですが、「足らぬ、足らぬは、工夫が足らぬ」から「工」をとって「夫が足らぬ」としたものもあるそうで、戦争で夫がとられ、男子がとられ、こちらはなんか切実な感じです。
■メモリアルイヤーの話
このメモリアルイヤーというのは、特に文化イベントでは重宝するのですが、例えば芸能活動何十周年とか、生誕何十周年とか、クラッシック音楽だとほぼ毎年のように、生誕何十周年とか没後何十周年とかでコンサートプログラムが組まれたり、CDセットが発売されたりします。古い物でもそれを集めていけば形となり企画となるわけです。
何年か前に、ストラヴィンスキー「春の祭典」初演100年記念ボックスというのが発売されましたが、「春の祭典」だけ38種類が20枚組のCDになっていて、なかなかの満腹感です。これとは違う10枚組の「春の祭典」初演100年記念ボックスもあり、こちらには1926年録音の盤も入っていて、これはこれでコレクターにはありがたいもので、これも思わず買ってしまいました。同時期にストラヴィンスキー本人が指揮する「春の祭典」のアナログ盤というのも再販されていて、こちらも入手しました。あの、つまりこれは、いわゆる自分への投資というもので、ただ投資効率が未知数なだけです。家人は「買物病だ、治らぬ病気だ。」と言いますが、けっして病気なんかではありません。金欠病ではありますが。
■キャスティングの話
最上義光ドラマのキャスティングですが、義姫役を決めてから兄(義光)と息子(政宗)を決めていくことになるかとはいえ、やはりなかなか難しい。
まずここで、あたりをつけやすい上杉家の配役でも。これは「天地人」そのままでいいのでは、謙信=阿部、景勝=北村、兼続=妻夫木、あとは信長役だった吉川晃司さんは前田慶次役でどうでしょう。んっ、ということは、最上義光役も長身のロックミュージシャンで、布袋寅泰さんとか。ならば、信長、秀吉、家康もこの路線で、甲本ヒロトさん(THE BLUE HEARTS)、ダイヤモドユカイ(RED WARRIORS)さん、吉井和哉さん(THE YELLOW MONKEY)、なんと青、赤、黄の「天下取りの三原色」ということで。そして義光の家臣には、山形出身の峯田和伸さん(銀杏BOYZ)とウド鈴木さん(キャイ〜ン)を。いやその、ウドさんはその存在がロックということで。そして連歌師の里村紹巴役は、やはり奥田民生さんでしょうか。おぉ〜、ロックオペラならぬロック大河ドラマ。このメンバーで霞城公園を貸し切ってフェスをやれば10万人はいくぞ。こっちも「ヨシアキ手ぬぐい」でも作ろうかしらん、1万本ぐらい。そうそう、「ヨシアキうちわ」もね。