最上義光 (もがみよしあき) プロフィール
■名 前 最上義光(もがみよしあき)
■出身地 山形(山形城/現在の霞城公園)
■生 年 天文15年(1546)1月
■没 年 慶長19年(1614)1月18日(69歳)
■墓 所 光禅寺(山形市鉄砲町)
■出 自 清和源氏・足利一門斯波氏の支族
■家 紋 丸ニ引両筋・竹ニ雀・五七桐・十六葉八重菊
最上義光(もがみよしあき)は今から約450年前の天文15年(1546)1月に最上家10代当主義守(よしもり)の長男として山形城で生まれました。
幼いころは「白寿丸(はくじゅまる)」と呼ばれ、永禄3年(1560)に元服し、将軍足利義輝(あしかがよしてる)から一字をもらって「義光(よしあき)」と名乗ります。通称は源五郎(げんごろう)です。
元亀元年(1570)25歳の時に第11代の当主(城主)になりました。それから約40年の間にたくさんの業績を残します。
慶長7年(1602)には、57万石(徳川・豊臣を除いて全国第5位)の大大名になりました。
慶長16年(1611)には従四位上・近衛少将(じゅしいのじょう・このえのしょうしょう)になりました。
慶長19年(1614)1月18日義光は病のため69歳でその生涯を終えます。
■出身地 山形(山形城/現在の霞城公園)
■生 年 天文15年(1546)1月
■没 年 慶長19年(1614)1月18日(69歳)
■墓 所 光禅寺(山形市鉄砲町)
■出 自 清和源氏・足利一門斯波氏の支族
■家 紋 丸ニ引両筋・竹ニ雀・五七桐・十六葉八重菊
最上義光(もがみよしあき)は今から約450年前の天文15年(1546)1月に最上家10代当主義守(よしもり)の長男として山形城で生まれました。
幼いころは「白寿丸(はくじゅまる)」と呼ばれ、永禄3年(1560)に元服し、将軍足利義輝(あしかがよしてる)から一字をもらって「義光(よしあき)」と名乗ります。通称は源五郎(げんごろう)です。
元亀元年(1570)25歳の時に第11代の当主(城主)になりました。それから約40年の間にたくさんの業績を残します。
慶長7年(1602)には、57万石(徳川・豊臣を除いて全国第5位)の大大名になりました。
慶長16年(1611)には従四位上・近衛少将(じゅしいのじょう・このえのしょうしょう)になりました。
慶長19年(1614)1月18日義光は病のため69歳でその生涯を終えます。