館長の写真日記 令和5年10月28日付け その2:最上義光歴史館

館長の写真日記 令和5年10月28日付け その2

 前回の続きです。何分にも連歌は全くの素人ゆえ、前置きばかりが長くなってしまいました。さてさて今回は、chatGPTではちょいと難しいであろう連歌の解釈の話でも。
 最上義光の連歌の師は、里村紹巴(さとむら じょうは)という京都の高名な連歌師です。義光は式目について、聞き知ったこと、疑問に思ったこと、さらに連歌用語や歌言葉などを解説し、それを師の紹巴にみせ指導を乞いながら、文祿5年(1596、改元慶長1)に「連歌新式」(最上義光注、紹巴加筆)を著しました。時に義光51歳、紹巴73歳です。当時、義光は豊臣秀次事件に連座して、近江に流謫されていた身でした。また、紹巴も豊臣秀次事件に連座して、近江国園城寺(三井寺)の門前に蟄居中でした。秀吉から罪人として退けられた両名ですが、この時期、近江の地にて音信を通じていました。(片桐繁雄「歴史館だより13」) 義光は他に「毎座不審の儀ども八百ヶ条」というのも記しているそうで、実はこちらの方が興味深いのですが。
 それではようやく、最上義光が読んだ句の紹介を。慶長3年(1598年)4月19日に「賦何墻連歌(ふすなにがきれんが)」と題し百韻を里村紹巴などとともに興行したものから。ところでこの「賦何〇連歌」というのは、賦物(ふしもの、テーマ)のことで、「〇」の部分にはお題が入ります。つまり、この歌会のテーマは「墻」、いわゆる土塀です。
(発句) おる花のあとや月見る夏木立     義光
(脇句) 御簾のみとりに明(け)やすき山   紹巴
 最上義光が発句ということで、この会の主賓ということです。里村紹巴が脇句ということで、この会の亭主、つまり主催者ということです。
 問題はこの句の解釈なのですが、字面だけであれば、発句は「春の桜を手折って風流を尽し、今、夏木立の中に座り、遅く出た月を眺めている」となり、脇句は、「御簾ごしにこの光景を味わっていると、はやくも時は移り東の山の空が白み始めている」となります。
 発句でいきなり「花」と「月」が読み込まれていて、なかなかに大胆です。もっとも、「月は出るにまかせよ、花は咲くにまかせよ」という式目もあるにはあるのですが。この句で視点は、「折る花」→「月」→「木立」とダイナミックに移っていますが、テーマである「墻」が浮かんできません。続く脇句は、「外を眺めていると、時が過ぎていきますね」というもので、どうしたものかと。
 名子喜久雄山形大学名誉教授によれば、この句はその場で目にした光景であるとしつつも、この連歌会のひと月前の3月14日に、豊臣秀吉による「醍醐の花見」が挙行されており、「おる花」とはこの行事を踏まえている可能性があるとのこと。また、この3年前には秀次事件に連座し、義光は駒姫を失い、紹巴は近江国三井寺門前に追放さており、権力の怖しさを改めて意識せざるを得ない状況にあった。そしてこの「月見る夏木立」という情景描写は「源氏物語」のある場面の面影を詠み込んだものだと。(名子喜久雄「歴史館だより28、29」)。ああ、そこまで読み込むものなのかと。
 そして、もうひとつ、「賦何墻連歌」の終盤のやりとりを。
 96 波も音そひかへる釣舟        喜吽  
 97 暮れはつる入江のむらは鐘なりて   景敏
 98 やどりさだめぬ袖ぞものうき     義光
 99 わかれつつまた誰をかはとひぬらん  紹由
 96の「釣舟」の人々は、なりわいのためではあるが日々殺生を行うので、業の深いものとされていました。96に立脚して97では、罪業を滅消させる「鐘の音」を響かせます。夕景の中での釈教・無常の世界が展開されています。ここまでは叙景を詠んだ句ですが、97の無常を軸として98では恋の情趣も加味されています。紹由は、98の義光の情趣をとらえ、99で遊女が「別れた男は、今日、一体どのような女のもとを尋ねるか」と嘆く姿を詠んでいます。このようにして、無常の叙景から恋の嘆きに、連歌は展開しています。
 つまり、釣舟の句が無情を想起させ、義光の句により遊女の嘆きになっていきます。ここで義光は、かなりの癖球を放り込んできている感じですが、実は「和漢朗詠集 遊女」の「白波のよするなぎさに世をすぐす 海人(あま)の子なれば宿もさだめず」という句から採っている、とのことです。(名子喜久雄「歴史館だより24」) この句も古典から立脚していると。連歌恐るべし。


「賦何墻連歌」 終盤部分

(なんと、まだ続く →その3に続く)