館長の写真日記 令和5年9月15日付け その1:最上義光歴史館

館長の写真日記 令和5年9月15日付け その1

 当館では現在、特別展示として「武士の晴れ姿〜甲冑と戦の様相〜」(11月26日まで)を開催しています。今回は展示スペースの都合上、甲冑の背後に合戦図屏風3点「源平合戦〜那須与一」、「長谷堂合戦図」、「大坂夏の陣」を展示しています。あわせて伝直江軍部隊旗「かりがね(雁金)の旗」を展示しています。
 「那須与一」は大和絵風のオーソドックスな描き方の二曲一隻の屏風、「長谷堂合戦図」は六曲一双の当館の重要展示品、「大坂夏の陣」は枕屏風(二曲屏風)を模写し額装したものです(原本は明治27年に焼失)。
 ここで、枕屏風について簡単な説明を。屏風というのは「風を屏(ふせ)ぐ」という語源のとおり風よけで、枕屏風は枕元に立てていましたが、後に部屋の隅に置くなどの装飾に使われました。長屋などでは日中、畳んだ寝具を隠すのに用いられました。
 この「大坂夏の陣」を描いた屏風絵は「最上屏風」とも言われ、もとは最上家から大坂夏の陣に派遣された武久庄兵衛昌勝が主君への土産として描かせたもので、この大きさはお土産だからと推察されています。(歴史館だより19、宮島新一)。
 「夏の陣」だけに、描かれている兵は、裸に胴巻き、褌に臑当だけ、といったいかにも夏の装いです。あの杉田玄白(「解体新書」で有名な医師、「解体新書」は山形市郷土館にも所蔵・展示されています)が、この屏風について「その絵を見るに、武具せし人少なく、多くは素肌者なり」と語っていた人がいた、と記録を残しているそうです。
 ここに展示しているものは、江戸後期に模写したもので、戦場の迫力ある場面というより、どことなく漫画のような明るい画風なのですが、そこに描かれている内容はかなりグロいものです。絵の右上には、大坂城に攻め入る武将隊が描かれていますが、そこには馬標(うまじるし)のように鎗に生首を刺したものがあり、絵の中央には、生首の髪を掴み手にぶら下げて意気揚々と戻る2人の男、いわゆる乱妨取り(らんぼうどり)の様子が、なぜか楽し気に描かれています。その左下の城壁に近い場所には、首のない半裸の屍体が3体ほど転がっています。また、城門付近には城を出ようとする稚児や女御たちの様子も描かれています。枕元に置くにはなんとも悪夢にうなされそうな内容です。
 乱妨取りは、戦国時代から安土桃山時代にかけて、戦いの後で兵士が人や物を掠奪することをいい、これを略して乱取り(らんどり・乱取・乱捕)とも言います。下級兵による食糧の現地調達から、家財、金品、人さらいまで公然となされたといいます。ついには戦場付近の村を襲い農作物を根こそぎ奪い、また、女・子供をさらい売り払ったり奴隷にしたとも。
 「大坂夏の陣図」屏風としては、大坂城に収蔵されているものが最も有名ですが、そこには約5000人もの人が描かれており、逃げまどう避難民から荷物を奪う兵士や、若い女性を数人の兵士が連れて行く場面も見られます。これは屏風絵の中でも大坂夏の陣だけにみられるものといい、このような乱妨取りがよほど目に余ったのかもしれません。
 そして戦いが終わると、武功の証として持ち帰られた首の検証(首実検)が行われます。「大将首」、「諸将首」、「雑兵首」に査定されました。町民や農民の首を狩る行為もみられ、これは、敵兵士の首に見立てて手柄にしようとした「作首(つくりくび)」のためで、少なからずあったといいます。生首を持っていくというのは、こういうことでもあります。(次回に続く)


特別展示「武士の晴れ姿〜甲冑と戦の様相〜」


「大坂夏の陣」(最上屏風)

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