「何路連歌百韻」:最上義光歴史館

「何路連歌百韻」

「何路連歌百韻」
「何路連歌百韻」写本「玄仍七百韻其他」のうち


初折の表部分


名残の折裏と句上部分

慶長二年(一五九七)八月七日に催された連歌です。
義光は七句を詠じています。
連衆(同席者)は一流の文化人ばかりで、義光が地方大名でありながら風雅を解する優れた人物として、京都の文化人の間で高く評価されていたことを物語る貴重な資料です。
義光(光)の他、里村紹巴(紹巴・巴)、木食上人応其(興山上人・上人)、日野輝資(日大)、細川幽斎(玄旨・旨)、前田玄以(徳善院・徳)らが一座した桃山連歌の屈指の秀作で、義光の文化人としての交友関係も知ることができます。

【句上】
紹巴  八  新三位 七   長俊  七
上人  七  玄旨  九   玄仲  一
白   八  玄仍  八
昌叱  九  義光  七
徳善院 八  景敏  六
日大  八  友益  七


紹巴(巴) = 里村紹巴(連歌師)
興山上人(上人) = 木食上人応其(僧侶)   
白 = 聖護院道澄(僧侶)  
昌叱(叱) = 里村昌叱(連歌師)
徳善院(徳) = 前田玄以(僧侶・戦国武将/五奉行)
日大 = 日野輝資(公家)
新三位(新) = 飛鳥井雅庸(公家)
玄旨(旨) = 細川幽斎(戦国武将)
玄仍(仍) = 里村玄仍(連歌師/紹巴の長男)
義光(光) = 最上義光 
景敏(敏) = 里村景敏(昌叱の子/のち昌琢)
友益(益) = (姓は北小路か速水/近衛家の関係者)
長俊(俊) = 山中長俊(戦国武将)
玄仲 = 里村玄仲(連歌師/紹巴の二男)